【座談会 vol.1】鎌倉 × サッカー

■ 座談会参加者

和田 正則(栄和堂マスター)・・・鎌倉市(深沢)出身・69歳。高校時代、当時関西で開催されていた全国高等学校サッカー選手権大会に選手として出場。(トップ写真右から3番目)

 

神川 明彦(明治大学付属明治高校・中学校 サッカー部総監督/鎌倉インテルFC)・・・鎌倉市出身・51歳。県立鎌倉高等学校の2年時にインターハイでベスト16、第62回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。3年時に国民体育大会の神奈川県代表に選出され優勝。(トップ写真右から2番目)

 

松村 竜次郎(鎌倉インテルFC ヘッドコーチ)・・・鎌倉市出身・39歳。およそ20年に渡って子どもから大人まで幅広い年代の指導に従事。指導範囲もケア・トレーニングから戦術まで多岐に渡る。(トップ写真右から1番目)

吉田 健次(鎌倉インテルFC ジェネラル・マネージャー)・・・鎌倉市在住・34歳。(トップ写真右から4番目)

 

今年3月から、Jリーグを目指すフットボール・クラブ「鎌倉インターナショナル FC」が 本格的に始動しました。以前、鎌倉高校がサッカーの強豪校だった頃はサッカー人気が高か った鎌倉ですが、ここ最近は停滞気味。そんな状況の中で、新しいフットボール・クラブが 鎌倉で始動したこの時期に、過去の鎌倉のサッカー事情に詳しい地元の方々にお集まりい ただいて、この新しいフットボール・クラブの誕生に伴い、このクラブに何を期待し、また地元鎌倉にど のような影響を及ぼすかを、率直にご自身の立場から語っていただきたいと思います。

 

まずは、年長者の和田さんにお聞きします。実は、この鎌倉インターナショナルFCの設立は、当クラブ代表の四方がこの深沢地区を初めて訪れた時に、偶然入ったこの栄和堂で和田さんに出会ったことがきっかけでした。そんな和田さんの母校は隣の藤沢市にある湘南高校で、サッカー部の強豪校です。そこで和田さんに質問です。

 

Q 和田さんがプレイしていた時代、サッカーは人気がありましたか? 和田さんはなぜサッカーをやろうと決めたんですか?

 

和田:僕が高1の時に東京オリンピックがあって、三ツ沢球技場であったサッカーの試合と、国立競技場であった3位決定戦の試合を見に行ったのを覚えてるね。後、翌年の1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が発足して、その時期に釜本、杉山が出てきて、一気にサッカー人気が上昇したけど、それまでは全然人気がなくて、例えば鎌倉にスポーツ店がなくて、サッカーのスパイクを買いに東京まで行っていたからね。

 

僕がサッカーを始めたきっかけは、中学生の時、卓球部に所属していたんだけど、球拾いばかりやらされたから辞めちゃって、その後にサッカー部の友達から、人数足りないから、助っ人で入ってくれって頼まれて、サッカーをやってみたら、すごく面白くて。こんな面白いスポーツがあるんだと思って、それからどっぷりハマっていって。湘南高校に入学したらサッカー部があったから、迷わず入部したね。毎日、夜までヘトヘトになるまで練習してたね。

 

Q 中学からサッカーを始められて、それからずっとサッカーをやられていたんですか?

 

和田:僕は45歳まで、現役でやっていたからね。湘南高校ではずっとやっていて、大学は早稲田大学の理工学部に入学したから、体育会のサッカー部には入れなくて、理工学部の中のサッカー部(今でいうサークル)で4年間プレイして。就職した後は、会社の都合で三重に行って、そこにサッカー部がなかったから、自分で立ち上げて、選手兼監督兼運営を全部やってプレイを続けて。その後、東京に戻ってきてからは、母校の湘南高校のOBチームで、45歳までプレイしてたな。

 

Q 現役を辞められた後も、サッカーは気になっていましたか?

 

和田:そうだね。鎌倉に戻って来てからは、母校の湘南高校の試合をよく見に行ったりしてましたよ。その内、Jリーグが出来たんだけど、鎌倉に住んでいて、正直どのチームを応援するか迷ったね。ベルマーレは当時、平塚だったけど、やっぱり相模川を越えるとちょっと地元じゃないし。といって横浜かな?とかね。そういう意味でも、以前から地元鎌倉にチームがあればなって、ずっと思ってたんだよね。
そして、鎌倉のサッカーの黄金時代が80 年代で、その主役が鎌倉高校のサッカー部でし た。その中心におられたのが、鎌高サッカー部のキャプテンもやられていた神川さんなんですが。

 

Q 神川さんがプレイされていた時代はサッカーは人気ありましたか?神川さんはなんでサ ッカーを始められたんですか。

 

神川:いや、鎌高のサッカー部は強かったけど、鎌倉ではサッカーの人気はそんなに高くなかったかな。僕が高3の時に、神奈川県少年選抜が国体で優勝したんだけど、市を挙げて祝ってもらったわけでもなかったし。僕がサッカーを始めたきっかけは、兄が小学生の頃から近くのサッカークラブでサッカーをやっていて、それについて行って一緒にサッカーをやらせてもらったのがきっかけでした。父が横須賀高校の教員で、サッカー部の顧問をしていたのも影響してますね。また、兄の同世代が初めて高校サッカー選手権の神奈川県大会決勝まで勝ち進んだんだけど、決勝で相模工業大附属高校(現在の湘南工科大附属高校)に負けて。その試合を見て、鎌高のサッカー部に入ろうと思ったんだよね。

 

Q 当時の鎌倉高校のサッカー部のライバル校はどこでしたか?

 

神川:当時は、桐蔭とか桐光みたいな私学は全然強くなくて、県立高校が主流だったよね。旭高校とか藤沢西高校とかね。唯一強かった私学が、先ほどの相模工業大附属高校(現在の湘南工科大附属高校)かな。だから、僕たちの世代が、県立高校が強かった最後の世代で、その後は、桐蔭や桐光のような私学が強くなっていったよね。

 

Q 神川さんは、その後、かなり早い段階から指導者の道を歩み始められたということです が、その経緯を教えていただけますか?

 

神川:高3の時、選手権の県大会の準決勝で負けてしまい、やり残した感じがすごくあって、スポーツ推薦で明治大学に進学してからも、結構サッカーに真剣に取り組みましたね。でもその時代では、まだJリーグの影も形もなくて、卒業してもサッカーを続けるなら、JFLでサラリーマンをしながらサッカーもやるという選択枠しかなくて。でも、僕はその社会人になってからも現役を続ける気持ちはなくて。父が教員でサッカー部の顧問をしていた影響もあって、現役は大学まででもう十分で、卒業したら教員をやりながら、サッカー部の顧問を続けられればいいなと思っていました。でも、実際あまり勉強もしていなかったので、中学教員試験に落ちてしまって。さぁどうしようと思っていた時に、偶然、明治大学の職員の公募がある事を知って、それなら大学に残って、サッカーの指導者の勉強もできると思って、受験したら偶然受かって。その後、社会人チームで3年程プレイした後に、現役は辞めて、指導者のライセンスを取りに行きました。それからはずっと明治大学で指導者の道を歩みましたね。
そして 2018 年に、ここに集まった皆さんのご協力もあって、鎌倉に新しいサッカークラ ブが誕生しました。

 

Q そこで皆さんにお伺いします。誰に聞いても、まさかこの鎌倉にサッカーチームができるとは思わなかったと言われますが、それはなぜだと思われますか?

 

和田:他のJリーグのクラブの成り立ちを見ても、大体が、地元にサッカーの強豪校の高校がある街からJのクラブで出来てたから(浦和とか広島とか静岡とか)、それを考えると、先ず思いつくのは、藤沢なんだよね。強豪校もあるし、競技場もあるし。だから、鎌倉にとは思いもしなかった。それで、四方くんに会って、鎌倉にサッカーチームを作るって言われて、初めはびっくりしたんだけど、それは名案だということに気づいたんだよね。

 

鎌倉には、年を召した方も含めて、いろいろな人生を送ってきて、色々な経験を積んできた人たちがたくさん住んでいるんだけど、その経験を生かすとか、そういう貴重な経験を若い人たちに受け継ぐとか、そういう風潮もないし、そういう場もない。実は、この栄和堂を作ったのも、そういう地元のいろいろな人が交流できる場になればと思って作ったんだよね。そこにJリーグを目指すサッカーチームを、地元しかも深沢に作るって人が現れて、これだ!と思ったね。このチームをJリーグに上げるために、街のみんなで力を合わせて、育てるなんて、すごくいいなと思って。これは絶対成功するなって思ったね。

 

神川:僕も同じで、鎌倉にサッカーチームを作るなんて考えたこともなかったですね。その一つに、やはり鎌倉はインフラが脆弱だということがあります。サッカーをやるには競技場も必要だし、ある程度のスペースが必要だけど、(この深沢地域整備事業用地ができる前は)鎌倉には全くそういうインフラもスペースもなかったから。後、和田さんも言われていたけど、当時からサッカーでいうと鎌倉より藤沢の方が明らかに強くて。藤沢の小学生のチームは韓国に遠征したとか、中学の神奈川選抜に呼ばれても、やはり藤沢出身の生徒たちが幅を利かせていたからね。俺は藤沢の奴らにも負けなかったけどね!!

 

だから、ある日、Facebookを見ていたら、鎌倉にサッカーチームを作るって投稿しているのを見て、ビックリして!でも和田さんと同じで、これだ!と。このプロジェクトには、どんな形でもいいから、ぜひ参加したいと思ったんだよね。

 

後、ある意味、誰も鎌倉にサッカーチームなんて考えないから、先にチームが出来なかったのも幸いしたよね。もしこれで、先にサッカーチームが出来ていたら、新たにもう一つサッカーチームなんて、こんな狭い地域で絶対に不可能だったろうから。

 

また、切っても切れない話題が、この地元深沢地域の再開発の話題です。4月4日に松尾市長が市役所本庁舎の移転先を深沢地域整備事業用地に決めたと明らかにしました。また松尾市長のホームページは、この深沢地区のスタジアム建設構想が掲げられています。

 

Q この用地には色々な問題が絡んでいるとお聞きますが、その辺の事情に詳しい、地元在住の和田さんに、これまでの経緯を教えてもらえますか?

 

和田:この土地はもともと、地元の地主の田畑があった場所だったんだけど、昭和17年に、突然海軍がこの土地を国債で買い上げて、海軍の工場を作ったんだよね。それで、昭和20年に敗戦になって、国債の価値がなくなって、結局地主はタダで土地を差し出した形になって。その後、国はこの土地を国鉄に払い下げて、国鉄大船工場という工場が作られて。それで、国鉄が民営化されてJRになった時に、大船工場の閉鎖が決まって、今のような更地になって。それから平成22年に土地利用計画というものが提案されたんだけど、その時の案の内容が、大型商業施設、高層マンション群、看護大学を中心にした街づくりという計画案だった。大船のコーナンと同じような計画で提案してきたんだけど、自分も含めた地元の人間は、もう大反対。そんな高層マンションとかショッピングモールなんか、この少子化の時代に必要ないし、この街を豊かにしてくれるとはとても思えなかった。だから、地元で反対の署名運動を始めて、市議会に計画見直しの陳情をしたらそれが通って、計画案は見直すことになり、平成28年に、修正土地利用計画案が作られた。今後はそれに従って、ガイドラインの作成や商業施設とか住宅施設などの区割りを決める都市計画決定が行われる予定です。ポイントはこの土地の主要な持ち主のJRに対して、土地取得の経緯からも地元の意向を十分配慮した開発をすべきであるということを理解して協力してほしいということだね。そんな折、松尾鎌倉市長の公式HPにスタジアム構想が掲載されたので、我々としてぜひ実現したいと願っているんだよね。そのイメージがシンガポールのタンピネス・ハブで、鎌倉インテルの四方君がモデルとしているところだったから驚いたよ。

 

Q ここで遅れて、松村さん(鎌倉インテルFC ヘッドコーチ)に参加していただいきましたので、松村さんにも、サッカーに関わってきた経緯を教えてもらえればと思います。

 

松村: 私は生まれも育ちも鎌倉で、サッカーとの出会いは、小学3年生の時に休みの日に偶然小学校でサッカーをやっている人たちがいて、そのサッカークラブの子にサッカーやってみないと誘われたがきっかけでした。5年生の時にキャプテンとか任されるようになったんですけど、そのころに膝の前十字靭帯を損傷するケガをしてしまって。それでもサッカーは好きでずっと中学に入っても続けていたんですけど、体調も悪くて。でもJリーグがスタートしてますますサッカー熱も上がってきて。それで高校はサッカーの強豪校だった藤沢西高校に進学して、サッカー部でプレイしていたんですが、高一の春休み頃に、試合で高いボールを競り合った時に頭から落ちて、首の骨を折る重傷を追って。下手すれば死んでいたかもしれない重傷で。でも幸運なことに助かって、一年以上の治療とリハビリを経て、一応またプレイできるようにはなったんですけど、やはりケガの後遺症で運動機能が落ちてしまったので、本格的に復帰することはできなくて。大学は関西の方に行って、サッカー部にも入ったんですが、膝が悪くてプレイが続けられなくて、結局そこで現役は諦めました。それで、トレーナーを目指すために大学を辞めて、専門学校に入ってトレーナーの勉強をして、トレーナーの道に進みました。それと並行して、高校時代にアシスタントコーチの経験をしたことを皮切りに、コーチの道にも進み始めました。トレーナーの仕事していると、リハビリの時にボールを蹴ったりして、経験者だけに結構美味かったので、そこからコーチの役もやるようになったりと、結局、トレーナーとコーチ、両方の仕事を並行してやってきて、今に至ります。現在は、指導方法にもっと医療的な知識も盛り込んだ、新たな指導方法を見出していきたいと思っていて。また、そろそろ地元の鎌倉で何かできればと思っていた時に、この鎌倉インテルFCの話を頂いて、ちょうどタイミングがよかったので、この話を受ける事にしました。

 

吉田:本当に今回は、サッカーを通じて色々な人の繋がりができて。僕が深沢に来た1日目に和田さんと会って、2日目に松村さんとお会いしたんですが、その時、和田さんは栄和堂の隣のテナントを借りる人を探していて、また松村さんもちょうど深沢で自身の治療院のテナントを探していて、僕が鎌倉出身の二人を引き合わせたことになったんですが、これもサッカーで繋がった関係なんだなと。ここに集まった人は、全部サッカーを通じて繋がった方ばかりなので、やはりサッカーってすごいなって。だから、このサッカーを通じて繋がっていく輪を、今後もどんどん広げていければと思っています。
後、ここに集まった幅広い世代の方々に、チームの選手たちを指導してもらって、選手たちを育成できればと思っています。

 

神川:本当だね。和田さんが60代、僕が50代、松村さんが40代で、吉田さんが30代。こういうのが、理想だと思うよ!

 

吉田:しかも、選手の方も、下は15歳から上は42歳まで、幅広い選手がいます!

 

神川:それがまた地域クラブチームのいいところで、大学とか高校のチームだと、そういうことはできないからね。

 

松村:自分のところの小学生向けのスクールの生徒で、見込みのある2人を、親の承諾を得て、鎌倉インテルFCの活動に同行させています。そのくらいの年齢から、サッカーを通じて色々な大人に会うのも、色々育成のためにいいかなと思って。

 

吉田:そういった独自のやり方を、この鎌倉インテルFCではドンドンやっていって、他のチームで出来ない事を今後も続けていきたいと思います。
それでは、最後にこの鎌倉インテルFCに、今後期待している事をお聞かせください。

 

和田:この深沢の街全体がこのチームを応援して、一緒に盛り上がる状況を作りたいなと。そうするとこの街に住みたいと思う人たちが増えて、その相乗効果で、街にすごく活気ができると思うんだよね。この街にはみんなで応援するチームがあって、そのチームから若い選手たちが世界に飛び立っていって、それを僕たちが後押ししている。こんないい街ないよねって、みんなで言えるような街になったら、みんな喜ぶと思うし、そんな街作りに鎌倉インテルFCが、ぜひ寄与して欲しいと思いますね。

 

神川:いいものを作るには、時間と手間暇をかけて、じっくり作っていかないといけないと思っていて。どうしてもJリーグを目指すと、階段を駆け登りたくなるんだけど、現実的にはなかなかそんな簡単ではないし。クラブの作り方を一歩間違えると、なかなか簡単にいい方向には戻せないというのを、自分も経験してきたし。いいものを作るには、知恵と経験と幅広い方々からの支援がないと出来ないと思うし。できれば、じっくり時間をかけて、いいクラブを作って欲しくて、そんなクラブのために自分もできるだけ支援していきたいなと。

 

とにかく、自分が生きている間に鎌倉にサッカークラブができるなんて、奇跡だと思っているので、このクラブを立ち上げる勇気ある決断をした四方さんと吉田さんには、最大の敬意を評したいと思います。また自分も将来、お手伝いしたいクラブができたので、ぜひ一緒に歩んで生きたいなと思っています。

 

松村:いいクラブを作る時に何が大切かと考えた時に、色々な人たちの願いと困っている事、この二つがモチベーションになります。困っていることは解決すればいいし、願いに関しては、その気持ちをどう形にしていくか、この二つに関してお手伝いできるようなクラブになっていけば、地域に貢献できて、その街に住みたいと思う人が広がっていくと思うので。そういうところがボケないようにしないといけないし、ブレずに何のためにこのクラブがあるのかを考えながら、一歩一歩歩んでいければいいなと思っています。急ぎ過ぎると足元をすくわれるし、とはいえ、現在はすぐに結果を求められる時代でもあるので、そのバランスをどうとるかも重要なポイントだと思います。自分が理想とするクラブは、夢や希望もありながら、挑戦し続けながら、課題も解決できるようなクラブができればいいと思っていて、そのためなら自分もぜひお手伝いしていきたいと思っています。

 

今日は、本当にありがとうございました!!
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