【座談会 vol.2】海外でサッカーのチャレンジを試みるプレイヤー達

⬛︎ 座談会参加者 ⬛︎

 

藤田航規 選手・・・鎌倉市出身。22歳。フォワード。鎌倉インテルFCを経て、この6月に渡米。ワシントン州のWhatcom Community Collegeに留学。本校サッカー部に入部して、そこからアメリカでプロ選手を目指す。

 

大高拓也 選手・・・神奈川県秦野市出身。23歳。フォワード。鎌倉インテルFCを経て、5月に渡欧。最初はパリでトレーニングをしながら、トライアルを受ける。今後はリトアニア、ルーマニアでトライアルを受ける予定。

 

冨澤勇介 選手・・・横浜市出身。38歳。フォワード。高校卒業後、パラグアイに渡り、プロ選手になり、複数のチームを渡り歩いた後、日本に帰国。社会人チームなどでプレイを続けて、現在は鎌倉インテルFCに所属。チーム最年長プレイヤー。

 

先日、掲載した<鎌倉インターナショナルFC主催 ザ・座談会 第1弾>では、本クラブが設立するのに携わった、鎌倉在住の関係者3名による座談会を開催したところ、おかげさまで大変好評をいただきました。そして今回、「ザ・座談会 第2弾」を開催することになりました。

 

鎌倉インターナショナルFCでは、「日本にインテルを作る」というキーワードに、海外でも活躍できる人材を輩出するというビジョンを掲げています。そして、すでに本クラブを経て、現在、二人の選手が海外でプロサッカー選手になるためのチャレンジをしています。現在、アメリカでサッカー留学をしている藤田航規選手、また現在、フランスでプロになるためにトライアルを受けている大高拓也選手は、現在住んでいるパリから、そして、高校卒業後にパラグアイに渡って、プロ選手としてパラグアイ・リーグでプレイした経験のある冨澤勇介選手の3人の選手をスカイプで繋いで、座談会を実現しました。藤田選手には、アメリカにサッカー留学することを決断するまでの経緯を、大高選手には、現在トライアルを受けているヨーロッパのサッカー事情を赤裸々に語ってもらい、冨澤選手には、以前海外でプレイした経験がいかに今日に生きているかを語ってもらって、二人の参考にしてもらいました。

 

<藤田航規選手>

 

Q. では航規くんから。まずは、大学までのサッカーの経歴を教えてください。

 

藤田:サッカーは少1の時に、地元鎌倉の小学校で始めました。中学に入って、SCH.FC.というサッカークラブでサッカーを続けて、高校は藤沢市にある湘南学園高校のサッカー部に入部しました。大学は京都の立命館大学に進学して、大学の体育会サッカー部に入部して、そこで4年間サッカーをしていました。

 

Q. 大学での色々な出会いが、今回のサッカー留学に繋がったそうですが、その経緯を教えてください。

 

藤田:大学2年の時に、当時英語の授業を担当していた西条先生の授業で、今後の目標を書くことがあって、そこに自分はプロサッカー選手になりたいと書いたことで、西条先生に気に入られて、そこから西条先生との交流が始まりました。そして大学4年の時に、西条先生が研究していた、サッカーをしながら英語を学ぶという研究に参加した時に、今の代理人会社のオリバーさんを紹介してもらいました。そしてオリバーさんを通して、今年の1月に渡米してトライアルを受けて、今回のサッカー留学が決まりました。

 

Q. 実際、それまで海外に行った経験はあった?元々、英語は得意でしたか?

 

藤田:海外へは、中3の時に、当時所属していたクラブの海外遠征でスペインに2〜3週間ほど滞在しました。そして高1の夏休みの時に、アメリカに住んでいる親戚のところに一人で行って、3週間ほど滞在しました。そして、今年の1月にサッカーのトライアルを受けるためにアメリカのサンフランシスコに2週間ほど滞在しました。英語は話す方はまだまだですが、大学受験で英語を勉強したので、読み書きは一通りできます。

 

Q. 留学に必要だったIELTSの試験を受けましたが、受けてみてどういう印象でしたか?難しかった、それとも意外にできた?

 

藤田:IELTSは自分にとっては難しかったですね。特にリスニングとスピーキングが難しかったです。リスニングは、話すスピードが早いわけではなかったですが、使われている英単語が難しくて、なかなか理解できなかったです。スピーキングは、鎌倉インテルにいる間に、色々サポートしてもらったおかげで、だいぶ慣れてきてはいましたが、質問の内容が、多分、日本語でも答えるのが難しいような質問だったので、自分が答えた内容が相手に通じていたか不安でした。
※ IELTS:International English Language Testing Systemの略。英語熟練度を測る英語検定の1つで、ケンブリッジ大学英語検定機構、ブリティッシュ・カウンシル、IDP Educationによって協同で運営されている。IELTSはオーストラリア、イギリス、カナダ、アイルランド、ニュージーランド、南アフリカ共和国のほとんどの教育機関で受け入れられ、アメリカ合衆国の3000以上の教育機関で受け入れられている。またオーストラリア、ニュージーランド、カナダへの移民の必要条件となっている。最近では英国の移住のための英語ビザ取得の為に、英語能力を図るためにTOEIC、TOEFL等もIELTS同様に語学能力証明として認められていたが、英国国内におけるTOEICテストの実施を委託された団体による不正があったためTOEFLとTOEICのスコアが認められなくなり、唯一認められるのがIELTSだけとなった。IELTSは聞く、読む、書く、話すの4つの英語力の試験を行なう。

 

Q. 海外での生活は初めてだと思いますが、楽しみにしているところは?不安なところは?

 

藤田:今回、長期に渡って海外で生活できるので、先ずは現地の言葉が話せるように早くなりたいと思ってます。後は、おかげでサッカーをやりながら、アメリカの大学で学生を2年間体験できることは、すごく楽しみにしています。不安な事は、やはりケガや病気をすることですね。アメリカは医療費が非常に高いと聞いているので、そうならないように気をつけたいと思っています。

 

Q. 留学するWhatcom Community Collegeがあるベリンガムはどんな街ですか?大学のサッカーチームはどんなチームですか?

 

藤田:大学のあるベリンガムはシアトルにほど近い田舎町で、老後に住みたい街No.1になっているみたいです。海も近いし、山も川もあって、アウトドアのアクティビティーが盛んな場所だそうです。
大学のチームはNWAC (North West Atlantic Conference)に所属しています。2年生大学のリーグなんですが、何年かに一人か二人、MSLに進んだ選手を輩出してるそうです。Whatcom のサッカーチームは、そのリーグの強豪チームで、大学に入学しても誰もがサッカー部に入れるわけではないんですが、自分の場合は、自分の映像をサッカー部のコーチに送って、自分のプレイを見てもらって、入部を認めてもらいました。
※ NWAC:NorthWest Athletic Conferenceの略。アメリカには2年制大学と4年制大学があって、このリーグはアメリカのオレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の2年制大学が集まったリーグ。このリーグでは、野球、バスケットボール、サッカー、テニス、バレーボール、ソフトボールなどの競技が行われている。Whatcomの男子サッカーチームは強豪チームで、昨シーズンの成績は18勝1敗3分で、NWACではNo.1シードで、全国の2年制大学のチームランキングでも、全国10位になった。

 

Q. その他のチームでもプレイするそうですが、アメリカではどうステップアップしてプロを目指す考えですか?

 

藤田:今回の留学は学生ビザで行きます。2年間はそのビザでアメリカに滞在は出来ますが、そのビザは延長できないので、その間に就労ビザに切り替える必要があります。就労ビザに切り替えるには、アメリカのプロリーグの1部(MSL)か2部のチームに入る必要があります。先ずは、それが第一の目標になります。
後、アメリカのスポーツはシーズン制で、サッカーに関しては、9月から11月がシーズンで、12月、1月はオフシーズンになります。なのでその間は、アメリカではインドア・サッカー(室内でやるサッカーで、フットサルと若干ルールが異なる)が盛んで、ベリンガムにも、「ベリンガム・ユナイテッド」というインドア・サッカーのチームがあって、地元でかなり人気のあるチームだそうです。そして、そのチームが自分に興味を示してくれているようなので、そのチームでプレイできればいいなと考えています。

 

Q. 今回、短い間でしたが、地元の鎌倉のチームでプレイしたことはどうでしたか?

 

藤田:6月中旬に渡米する事が決まっていたので、それまで体を動かせればいいかなって軽い気持ちでチームに参加したのですが、参加してみると、サッカーのバックグラウンドが全く違うプレイヤー達が集まった、クセの強いチームでした。最初は全くプレイも合わなかったんですが、試合をこなすようになってだんだんコンビネーションが合うようになってきて、楽しかったです。まだまだなところもたくさんあるのですが、周りから応援されているチームだなってすごく感じるので、地元鎌倉のチームでもあるし、これからもっと成長して、ぜひ鎌倉のサッカー界を盛り上げて欲しいですね!

 

Q. 留学するにあたって、チームにサポートしてもらったそうですが、助けになりましたか?

 

藤田:IELTS(※)を受けるにあたって、英会話の勉強に付き合ってくれた鎌倉インテルの田中さんには本当にお世話になりました。実際、スピーキングの勉強をどうやってやろうかと困っていたので、非常に助かりました。ありがとうございました!コーチの松村さんには、サッカーの技術というよりは体の使い方をたくさん教えてもらいました。大学では、筋肉を大きくすることばかり考えていましたが、チームメートの冨澤さんに紹介してもらったアンスールというトレーニングジムでも、筋肉を大きくすることよりも、その筋肉をうまく使ってどうバランスを取るかとか、実際の動き方の確認をしたりとか、特殊なトレーニング方法を教えてくれるジムだったので、すごく勉強になりました。

 

<大高拓也選手>

Q. では、次は拓也です。日本でのサッカーの経歴を教えてください。

 

大高:僕は神奈川県秦野市出身で、小学校の時、親友に誘われて、秦野市の広畑SCというサッカークラブでサッカーを始め、小学生の選抜で韓国遠征にキャプテンとして参加しました。中学では、LJ 厚木という東京ヴェルディの監督の経験のある人が作ったクラブチームでプレイしました。高校は、敢えて強豪校には進学せず、神奈川県立秦野総合高校という県大会ベスト16くらいの チームで、中心選手として背番号10番をつけてチームを牽引しました。この高校生の頃から、将来は海外でプロ選手になることを目指すことを目標に掲げました。大学は日本体育大学に進学し、サッカー部に入部しました。TOPチームでのプレイは叶いませんでしたが、 4年間、サッカーと真摯に向き合い、様々な経験をして選手として成長できました。大学2年生の時、 アジアのチームからオファーをもらいましたが、小学校教諭の免許を取得するためにそのオファーは断りました。

 

Q. 拓也は、高校時代くらいから、海外でサッカー挑戦をしたいと思ってたそうですが、きっかけはなんでしたか?

 

大高:中学生の頃から、特別に社会人のチームでプレイさせてもらっていて、その社会人のチームに、以前メキシコリーグでプレイした経験のある選手がいて、その選手から海外でプレイすることのメリットとか、日本でプレイしていても味わえない色々な体験が海外にはあるということを聞いていました。自分の夢(プロの選手として成功すること)を叶えるには、海外でプレイするべきだと、ずっと聞かされていました。その後、高校に進学する時に、もっと強豪校への進学の話はあったんですが、当時、自分に自信がなくて、その話はお断りして、秦野総合高校に進学したので、その時点で、もう日本ではスカウトされないだろうから、プロへの道は厳しいなと考えて、その時、いずれ海外で挑戦しようと心に決めましたね。

 

Q. 海外での生活は初めてだと思いますが、不安なところはありませんでしたか?

 

大高:今回、一人で海外に行くのは初めてです。それで、今回、フランスで1ヶ月間トレーニングすることになってたんですけど、フランス語を全く勉強していかなくて、少し話せる英語でなんとかなるかなって、甘い考えでこちらに来ました。そうしたら、やはり全部フランス語なんで、今勉強している日常会話ぐらいならなんとかなるんですが、トレーニングも、ほぼ全部指示がフランス語なんで、全く理解できなくて。英語の話せる同僚の選手に英語で教えてもらって、なんとかなってはいるんですが。多分、上のリーグに行けば、もっと外国人選手が増えて、そうなると英語を使う選手も増えるとは思うんですが。とにかく、海外でやるには、その国の母国語と英語は最低でも喋れないと難しいですね。あとはスペイン語ですかね。スペイン語を話す選手も多いので。だから、ヨーロッパでプレイするなら、その国の母国語、英語、スペイン語を話せると理想的ではありますね。

 

Q. そして、拓也は実際、現在パリで、プロ選手になるために頑張っています。実際、どうですか?サッカーの部分で、生活面で、予想通りな部分、予想外だった部分色々あると思いますが、サッカー面と、生活面と分けて詳しく話を聴かせてもらえますか?

 

大高:そうですね。一番驚いたのは、元々フランスでは1ヶ月間トレーニングするという予定で、トレーニングしたり、練習試合をしたりしてるんですが、例えば、先日、フランス1部所属のRCストラスブールの、フランス4部に所属するセカンドチームと練習試合をしたんですが、自分はそれまでの練習試合でも結構結果を残していたので、その試合を観戦していたサッカー関係者から、ドイツやトルコのチームを紹介したいとか、相手チームの監督に、君に紹介したいチームがあるとか、色々声をかけてもらいました。今の所、実現はしていませんが、トレーニングのつもりでやっていた練習試合でそういう話をいただいて、やはりヨーロッパでは、色々なチャンスが実際あるんだなって肌で感じましたね。ヨーロッパでは、あらゆる場所にエージェントやスカウトの目が光っているんだなって思いました。生活面では、これと言った不便さはないですね。今はパリでも有名な繁華街の近くに住んでいて、今のパリは治安が良いわけではないですが、まぁ、問題はないです。食事に関しては、自分は自炊が得意なんで、知り合いで栄養面とか詳しい人がいて、その人にどういう食材がいいとかを聞いて、その食材で自分の好みの料理を作ってますから、全然困っていませんね。

 

Q. 当初は、パリでのトライアルの後に、ポーランドリーグに行くという話でしたが、現在の状況を教えてください。

 

大高:初めはポーランドに行く契約だったんですが、多分、そこでは現時点ではプロ契約は望めそうもないんです。自分は年齢がもう23歳なので、プロ契約でスタートできる場所にこだわって、代理人に探してもらったところ、リトアニアの2部チームならプロ契約からスタートできるということなので、本日、そのチームのトライアルを受けに行きます。ヨーロッパでは選手も自身の経歴が大事で、一度プロ契約をしていると、次の契約も取りやすかったりするみたいなので。

 

Q. 拓也のヨーロッパでのサッカー選手としてのキャリアはスタートしたばかりですが、プロのサッカー選手としてやって行く上で、現在は理想の状況でしょうか?

 

大高:理想を言えばきりがないんですがね。現在も、フランス3部か4部のチームに紹介してくれると言ってくれている人もいて、その人の話も信じつつ、とりあえず、リトアニアのチームのトライアルも受けて、合格しても、そのフランスの話の進展具合を見ながら、結論を出そうかなと思っています。多分、今回知り合った人たち(スカウトたち)は、今後も繋がって行くと思うんで、今後、自分が結果を残せば、また新たなオファーもあるかもしれないですしね。

 

Q. 今後の目標と夢を聞かせてください!!

 

大高:とりあえず、リトアニアの2部のチームと契約したら、1〜2年でリトアニア1部のチームに行って、そこでチャンピオンズリーグの試合に出場して、その実績を引っさげて、さらに良い条件のチームに移籍して、有名な選手になりたいですね。特に日本の子供達がどんな選手になりたいって聞かれた時に、自分の名前が出るような選手になれるように頑張りたいですね!それから、自分のもう一つの夢は、小学校の先生になるのが夢だったので、いずれに日本に帰って選手を引退したら、小学生とかにサッカーを教える仕事もしたいですね。
今日は、リトアニアに出発する当日の忙しい日に、付き合ってくれてありがとう!

 

<冨澤勇介選手>

Q. そしてトミさんの番です。まずは、トミさんの鎌倉インテルまでのサッカーの経歴を教えてもらえますか?

冨澤:小学生の時にサッカーを始めて、地元の小学校のチームでプレイして、中学は地元の中学の部活でサッカーをして、そして高校生になって、当時のFC町田ユース(現・FC町田ゼルビアユース)に入団して、そこでプレイしました。高校卒業後にパラグアイに渡って、 オリンピア(パラグアイ)やグアラニ(パラグアイ)というチームなど何チームかを渡り歩きながらプレイしました。帰国した後は、大学のチームで練習させてもらいながら、入団できるJリーグのチームを探しましたが、それは難しくて、結局は美蹴団新横浜(神奈川県リーグ)という社会人チームに入団して、その後は社会人リーグのチームでプレイして、現在に至ります。

 

Q. トミさんの経歴の中で、一番大きな転期はパラグアイに渡って、プロ選手になった事ですが、パラグアイに行くことになった経緯を詳しく教えてもらえますか?

 

冨澤:高校時代にプレイしていたFC町田ユースにいたコーチに、パラグアイ出身で代理人をしている人に紹介してもらいました。実際、会ったこともなかった人でしたが、会ってパラグアイに行くかと聞かれました。この話は20年前の話で、当時はインターネットもなかった時代で、パラグアイの情報も何もなくて、とりあえず、アルゼンチンに行けないか聞いてみたら、パラグアイの方がプレイできるチャンスがあると言われたので、パラグアイに行くことに決めました。当時、自分はパラグアイと言われて、思い浮かぶのは、チラベルト(自らFKも蹴ってしまうことで有名だった名ゴールキーパー)とパラグアイのオリンピアというチームくらいしか予備知識はなかったんですが、行くことにしました。

 

Q. パラグアイでの暮らしはいかがでしたか?言葉は、すぐ話せるようになりましたか?

 

冨澤:首都のアスンシオンという街で、その代理人の知り合いの日系人の人が所有していたアパートを貸してもらって、そこに住んでいました。まぁ南米なんで、日本とは違うところがたくさんあって、慣れるまでは大変でしたが、生活になれれば、そんなに不便なことはなくて、様々な国の料理を食べに行くのが楽しみでした。言葉は、家庭教師に基礎的な会話を教えてもらって、覚えたフレーズを使うようにしてコミュニーケーションをとっていたんですが、パラグアイには公用語のスペイン語の他に、地元の母国語のグアラニー語と混ぜて話す人が多くて、それには苦労した記憶がありますね。
サッカーに関していえば、やはり南米では、サッカーが一番の感心事で、代表の試合があると、みんな仕事をそっちのけでサッカーを見るほど、関心は高かったですね。

 

Q. 南米のサッカー事情は、日本と比べると全然違うと思いますが、一番驚いたことや、戸惑ったことはなんでしたか?

 

冨澤:自分のイメージでは、南米の選手はあまり身体は大きくないというイメージだったんですが、実際、同じピッチに立つと、体の分厚さに驚きましたね。後は、ウォームアップや練習の時のちょっとしたパス回しの時でも本気で獲りに来るから、真剣にやらないとケガする勢いだし、それでケガしても、それはお前が悪いという考えで、しかもケガすれば、自分にチャンスが回ってくるって真剣に思っているから、その辺はやっぱり日本とは明らかに違ったし、驚きましたね。そういうスタンスで練習からやるってことに慣れるのに苦労しましたね。
また日本と違ったところは、選手との距離感が全然違いますね。日本だと、ユースチームにいて、トップチームの選手とは、やはり遠慮もあって、ある程度距離感があるんですが、南米では、そういうのがまったくなくて、すごくチームがファミリーみたいな感じですね。2002年のトヨタカップで、自分が以前所属していたオリンピアが来日して、その来日したメンバーの中に、自分が所属していたU-20チームのチームメートがいて、来日した時、会いに行ったら、彼が監督に話してくれて、ホテルから練習グラウンドまで、選手と一緒にチームバスに乗せてくれたり、チームの食事に連れて行ってもらって、円卓に招いてくれたりして。そういうところは、南米はすごくアットホームで、ファミリー感をすごく感じました。絶対、日本じゃ有り得ないです。 ちなみに、そのチームメイトは、その決勝の試合でジダンをマークしていて、ジダンをうまく封じ込めてましたね!

 

Q. 今振り返って、海外での生活は、今の自分にどういう影響を与えたと思いますか?

 

冨澤:もちろん、実際パラグアイにいた時も、身近にトップチームの選手がいて刺激になりました。そして、その時期に身近にいた選手達が、後のワールドカップにパラグアイ代表のメンバーとして出場したり、代表監督になったり、またはリベルタドーレス杯(南米No.1クラブチームを決めるトーナメント大会。この大会で勝ったチームがトヨダカップに出場していた)の大会の試合に出場していたりすると、やはり彼らを尊敬するし、誇りに思いました。そういった人達とサッカーしていたことを今でも誇りに思うし、自信にもなりました。南米に行ったことで、日本にいたら繋がりを持てなかった人達と知り合う事ができて、今だに刺激をもらっています。

 

Q. 38歳までサッカーを続けられている、一番の大きな要因はなんでしょうか?

 

冨澤:フィジカル的には、1年半前に、H I I Tトレーニングという、特別なトレーニングを専門をやっているアンスールというジムに出会うことができて、現在、週3、4回通ってます。そこに通うようになって、そこのトレーニングのおかげでフィジカルのコンディションは凄く良くて、今でも現役を続けられています。このジムを航規にも紹介して、一緒に通っていました。
メンタル的には、旧友の四方氏が始めた鎌倉インテルのコンセプトに共感して、プレーヤーとしてもっとやりたい!と思えたから、今も現役を続けています。(笑)
20代前半の若いメンバーと混じって、フィジカルとメンタルがバランス取れてるので続けられていると思いますね。

 

Q. 現役の選手を引退した後の事は、具体的に何か考えていますか?

 

冨澤:引退といっても、現在も仕事をしながらプレイしているので、引退しても、仕事は何も変わらないと思うし。でも、何かの縁で鎌倉インテルに関わることができたので、引退の後も、何らかの形で関われればと思っています。拓也や航規みたいに、今後も鎌倉インテルに海外でプレイしたいと思って入ってくる選手もいると思うから。そういう選手をサポート出来るように関われたらいいなと思っています。特に、今はみんなヨーロッパを目指しているけど、南米も選択枠としてあるし、もしかしたら、南米の方がチャンスがあると思うので。

 

Q. 今、まさに海外でサッカー挑戦をしている2人にかけたいアドバイスは何かありますか?

 

冨澤:そうですね。自分がパラグアイに行ったのは1998年で、ちょうど20年前なんですけど、その時に知り合った人達との繋がりは今でもあって、また、そこから広がった輪が今でも活きていて、それが自分の財産になっています。サッカーのことはもちろんそうなんだけど、自分のこれからの人生のために、これからの人との出会いを大切にして、サッカーはもちろん頑張って!あと、海外での生活を十分エンジョイして欲しいな!!

 

Q. それでは、最後に、一人ずつ、今後の抱負を聞かせてください。

 

まずは航規から!!

 

藤田:必ず、プロ選手になります!

 

頑張って!それでは、拓也!!

 

大高:僕は、今出せる全てを出して、プロ契約をして、日本に帰って来れるように頑張ります!

 

それでは、トミさん、最後締めてください!

 

冨澤:自分は、鎌倉インテルで、まずは鎌倉カップで優勝して、クラブとして初タイトルを獲得して、そして、今シーズンの目標である、県リーグ2部への昇格を勝ち取ることです!

 

皆さん、今日はありがとうございました!!

 

<追尾>
その後、大高拓也選手は、ルーマニア2部のチームからもトライアルの招待を受けて、リトアニアのトライアル後は、ルーマニアに移動する予定です。